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珊瑚とシェルカメオの話

大阪外語大学大学院博士課程 鈴木庸子 (Suzuki, Yoko)

血のような赤、赤ちゃんの頬のようなばら色、象牙のように深い白--珊瑚は、真珠と共に海を代表する宝石です。一方宝飾品の中でも芸術性の高さと言えば、凹凸のある数ミリの2色の層に女性の微笑みや優雅な神話の一場面を表現するシェルカメオが一番に挙げられるでしょう。日本でも人気が高い海に生を受ける両ジュエリーですが、どのような歴史を抱え、どのような人々が世界中(特に女性)の憧れをかきたてているのでしょうか。

珊瑚の歴史

図1.地中海産「ベニ」写真の引用は*より
図2.日本・台湾産「赤」*
図3.日本・海南島産「白」*
図4.日本・台湾・海南島産「ボケ」*
図5.「ミッドウェイ」*
図6.「シンカイ」*

 珊瑚の中でも、宝石となるのは八方サンゴ亜綱ヤギ日、サンゴ科のホンサンゴとカザリサンゴです。珊瑚礁を形成する岩石サンゴは、イソギンチヤク等が属する六方サンゴ亜綱の生物ですから、別のグループとなります。珊瑚の種類は、地中海産でいわゆる珊瑚色の「ベニCorallium rubrum」(図1)、太平洋に分布する「赤 C. japonicum」(図2)、「白 C. konojoi」(図3)、最も高価な薄ピンク色の「ボケ(英語名エンジェルズスキン)C. elatius」(図4)、白かピンクの地に赤が混じった「ミッドウェイ C. secundum」(図5)、まだ学名がなく、色と生息地域から各々「ガーネット」「シンカイ」(図6)と呼ばれるもの等があります。1メートルにも達する太平洋珊瑚に対し、地中海珊瑚は20センチメートル程度と小さく細めです。
 高知や福江島、鹿児島沖など良質な曽根(漁場となる海中の嶺)を擁するせいか、我々は珊瑚に身近なイメージを抱きがちですが、実は日本で珊瑚漁が始まったのは19世紀後半で、それまで2万5千年~3万年と言われる人類と珊瑚の歴史を支えてきたのは地中海でした。この海の珊瑚は水深20メートル前後と比較的浅い所から棲息しますが、その漁は、10世紀までにはアラブ人による漁具(インジェーニョ《イタリア語で才能・才覚、又は仕掛けの意》=図7を参照)の発明を契機に本格化していました。南欧の港町が珊瑚産業を担いましたが、15、6世紀にはその活動がマルセイユ、ジェノヴァ、リヴォルノ、トラーパニ、ナポリ、トッレ・デル・グレコ(以下トッレと省略)に集中します(図8)。中でも力をふるったのは、北アフリカの珊瑚漁を牛耳るフランス王立アフリカ公社の専属珊瑚工場を持つマルセイユと、17世紀に自由港となり流通全般で力を伸ばしていたリヴオルノ、そして15世紀に珊瑚彫刻を始め、16世紀に職人チミネッロがそれまでののみのような工具に代わる彫刻刀を開発したことで、研磨技術しか持たない他の町を引き離したトラーパニでした。
 フランス革命(1789)のあおりでマルセイユの珊瑚工場が閉鎖されると、この工場長を務めていたポール・バルテルミー・マルタンは、ナポリ王の援助も得てナポリ近郊のトッレに珊瑚工場を開き(1805)、水揚げのみだったこの町の珊瑚産業を加工、販売まで拡げます。続いて彼は、当時流行のストーンカメオを作っていたローマの貴石彫刻家を通じて彫刻技術を導入し、数年でトッレを珊瑚産業の主役に変身させました。有閑階級がその顧客となり(ナポレオンも珊瑚製カメオ付きチェスボードを所有)、更に19世紀は珊瑚そのものが流行したため、誕生間もないトッレの製品はヨーロッパの様々な階級から支持を得ます。イタリア統一(1861)と共に貴族等が姿を消し、流行が需要を決するようになると、トッレはイタリア初の国立珊瑚彫刻専門学校を構え(1879)、ここで職人を養成すると共に新しいデザインや技術を研究し、その成果を各工房が取り入れることで、その気まぐれな動きに対応します。この頃需要急増の陰で乱獲が進み、珊瑚枯渇が囁かれる一方で、シチリアのシャツカ沖で巨大な曽根が相次いで見つかります(1875,78,80)。これは折れた珊瑚の堆積群だったらしく、曽根に当たれば未曾有の水揚げが期待できたため「シャツカ珊瑚(図9)景気」が起きます。しかし過多な水揚げは値崩れを招き(1885)、珊瑚全体への悪影響を懸念したイタリア政府は1887年にその漁を五年間禁止します。トッレを筆頭に珊瑚と関係の深かった港町ではシャツカ珊瑚を抱えた業者が次々に倒産し、珊瑚産業全体が危機を迎えました。当時まだ日本の珊瑚加工技術は発達しておらず、原料供給国に留まったことも彼らに幸いしました。1887、8年頃から日本珊瑚の輸入を本格化したトッレは、それまでの漁に始まる産業形態を輸入-加工-販売へ切り替え、地中海珊瑚産業における覇権を強化します。その後日本海やミッドウェイ近海で曽根の発見が続き、漁における太平洋の優勢が決定しますが、トッレは持ち前の加工技術とすでに世界に開拓した市場を盾に、特にモード製品における絶対的な地位を築きます。

図7.インジェーニョで珊瑚を絡め取る図
*Basilio Liverino; ILCORALLOより

図8.珊瑚の歴史を支えた町

図9.地中海産「シャッカ」*

図10.トッレの芸術学校(元珊瑚彫刻専門学校)でのカメオ実習授業風景

 その時「地中海だけの恵みと言われた珊瑚が極東の海で揚がり、これが巨大で見たこともない様々な色をしていた」と言う、高知沖で漁が始まった日本珊瑚の噂が流れます(地中海と太平洋で珊瑚漁の開始時期にこれほどの差がある理由には、後者の珊瑚生息域が100メートル以上と深く、技術的に水揚げが難しかったことが挙げられます)。この珊瑚史始まって以来の大事件に際し、40~60日もかけて日本に駆けつけたのはトッレの珊瑚商人でした。実際に新種の珊瑚を手にし、その固さや大きさに高額な彫刻製品への適性を見た彼らは、新たな珊瑚産業の柱として日本珊瑚を買い付けます。
 現在の珊瑚産業主要国は台湾、イタリア、日本等で、お互いに商品や原料を売買する関係にあります。地中海珊瑚も徐々に再生し、曽根の調査と共に漁も続けられていますし、一時は激減した日本沖の珊瑚も深海潜水艇での調査を基に一定の水揚げが行われるようになりました。更に串本海中公園センターと高知・室戸の海洋深層水研究所が、深海に生きる謎の多い珊瑚の養殖に着手し、水槽飼育に成功しています(鈴木克美,珊瑚;法政大学出版局)。又イタリアのトッレとサルデーニヤのアルゲーロにある芸術専門学校では、十代を中心とする生徒に珊瑚加工を指導しています。特に前者では、マエストロ(名人)と言われる人材を輩出した珊瑚及びカメオ彫刻コースが、現在も300人弱もの未来のマエストロの第一歩を支えています(図10)。

シェルカメオの歴史

図11.コーネリアン(マンボウガイ)=写真の引用は**より=とコーネリアン製シェルカメオ

 カメオとは、浮き彫りの彫刻とその作品を意味します。素材によってストーン、ラーバ、シェルカメオ等呼び分けられることもありますが、いずれも横から見ると背景よりモチーフが高くなっています。ちなみに判子のような沈み彫りは、インタリオと言います。
 シェルカメオの前に、カメオの基礎とされるストーンカメオに触れておきましょう。その歴史はヘレニズム時代のエジプトにさかのぼると言われ、ここで「タッツア・ファルネーゼ(ナポリ考古学博物館蔵)」等カメオの最高傑作とされる作品が生まれた後、その文化を吸収したローマ帝国がこれを最大限に開花させ、あらゆる石・デザインのカメオが誕生します。その熱狂は帝国の混乱と共に弱まりますが、この時代のリヴァイヴァルの度にその熟も息を吹き返します。一度目はルネッサンス期で、この時ストーンカメオは作品の多くが当時のままの姿を保つため、ギリシャ・ローマ文化の完全な原型を伝える存在として珍重されます。時の権力者が蒐集に腐心しますが、とりわけ有名なのが「豪華王」ロレンツオ・デ・メディチで、彼は所有した古代のカメオに自分の名前を彫り込ませたりもしています。次のブームは19世紀に、遺跡の発掘や自然主義等がギリシャ・ローマ時代を蘇らせて起こりますが、その最大の火付け役は戴冠式(1804)と二度日の結婚式(1810)で、数十個のローマンカメオを貼った冠を戴いたナポレオンでした。その影響力は、例えばダビッド作の戴冠式の絵の左側に控える盛装の女性を飾る数々のカメオにも見られます。

図12.サードニクス(クチグロトウカムリガイ)** ROSSO CORALLO より=サードニクス製シェルカメオ

 さて、彼女等のファッションに憧れるヨーロッパの女性の間でカメオが大流行しますが、この時宝石に手が出せない階級の味方となったのが、瑠璃に似た色の層を持つシェルだったのです。すでにルネッサンス期にはマッテーオ・デル・ナッサーロ(1515~47/48)というシェルカメオ彫刻家が北イタリアやフランスで活躍していますが、その製品としての価値を広く認められ、今日の隆盛の地盤を築いたのはこの頃と言えます。当時貴石加工の世界的中心地はローマとフィレンツェでしたが、そのローマから職人を招いて珊瑚に応用させた町が、シェルカメオの担い手となります・・・・・そう、トッレです。ここでは1850年代に様々な原料を使ったカメオ作りが盛んになりますが、シャッカ珊瑚が登場した頃から珊瑚の価格と人気の下落に備え、これに代わるものとして特にシェルカメオの商品化を進めます(前述の学校は、珊瑚の場合と同様にシェルカメオの熟練職人を招いて製品・技術開発と職人育成に努め、地元に貢献しました)。原料の通称コーネリアン(マンボウガイ Cypraecassis rufa 図11)はアフリカ原産のため調達は容易でしたし、すでに珊瑚で加工技術と広大なマーケットを握っていたトッレがシェルカメオの市場を独占するのは時間の問題でした。ヨーロッパでのブームは、20世紀初頭にはアメリカとオーストラリアヘと移動しました。
 世界大戦の後はまずアメリカでブームが再燃し、80年代からは特に日本にその熱心な愛好者を獲得したことは、今日道行く女性にも認められるでしょう。芸術性を求めるファンに応え、デザインを多様化し、原料も白と茶の対比がより鮮明で彫刻的効果の高い中南米産の通称サードニクス(クチグロトウカムリガイ Cassis madagascariensis 図12)をメインに切り替たトッレは、現在世界のシェルカメオ製品のほぼ100パーセントを生産する独占体制にあります。その売上高も、この町の珊瑚及びシェルカメオ生産者組合(Assocoral)全体で2億7,040万ドルにのぼり(1989年。Anna M. Miller, Cameos Old & New; Van Nostrand Reinhold)、名実共に「世界のシェルカメオの町」という名を欲しいままにしています。

トツレ・デル・グレコのマエストロ

 トッレは、ナポリ県に属する人口10万ほどの町です。ポンペイを埋めたヴェズヴイオ山とナポリ湾に挟まれ、火山灰で土地がやせたこの町の生活の糧は海、特に珊瑚漁でした。現在のようにしっかりした船も航海術もない時代に、コルシカ島や北アフリカ沿岸にまで出漁したその勇敢さから、トッレは中世から「命知らずの漁師の町」として知られます。
 この漁師町は、フランス人マルタンが加工技術を導入したお陰で19世紀には珊瑚とシェルカメオ産業の第一人者となり、現在も町民の約6割がこの二つの産業に関わっていると言われます。1世紀以上トッレを支え続けた技術を受け継いだ人々は今どのような歴史を生きているのか、シェルカメオ工房に日本でもファンの多いマエストロを訪ねました。
 現在60代後半の彼は、小学校3年生(11歳)の時に当時名マエストロとして知られていたシェルカメオ彫刻家の弟子となり、この世界に入りました。工房に通う傍ら、18歳からは芸術全般の知識を深めようと珊瑚彫刻専門学校の夜間部の生徒となります。当時この夜間部は、デザインを中心とする授業で様々な業種の現役技術者から人気を集め、珊瑚をはじめべっこう職人や指物師、大工までが学んでいました。

トツレのサンタ・マリア・デイ・コスタンティノーポリ教会にある珊瑚を持つマリアと珊瑚のネックレスをしたイエス像。17世紀以来特に珊瑚漁師の信仰を集めたこの教会は、この町の歴史を象徴する存在です。*

一流職人の技術に刺激を受けた彼は2年後に工房を退職し、学校の昼間部に再入学します。朝8時から夕方4時までの授業で得た知識を、毎晩自宅でカメオ制作(結婚した彼が家族を支えた唯一の生活の糧)に生かす学生生活は、それまでになく充実していたそうです。23歳の時、叔父がコーネリアンのイタリア向け輸出をしていたモザンビークへシェルカメオ彫刻指導に招かれ、3年間首都マプートに過ごします。帰国後はいよいよそれまで培ってきた腕を発揮し、女性の横顔を得意とする彫刻家として数社と契約する売れっ子となります。33歳の時再びマプートに教師として1年間招聘されますが、その後はトッレでの彫刻活動に専念しています。
 一人娘は別の職業を選び、彼の工房を継ぐ人はいませんが、何人もの若者が彼のもとに通い、独立しました。特に目をかけていた一人は、外国にもファンを獲得した矢先にどうやら麻薬に手を出したらしいと知り、断腸の思いで指導を断りました。「とてもいい子で、本物の才能があって。あんな子は初めてだったよ。毎日どんなカメオを作って見せるか、こっちがわくわくしたんだ」弟子をとることを止めた彼は今、町の中心部にある工房で、ラジオを傍らに一人カメオを彫っています。実は最近、今までの作風もデザインも捨て、ロココ時代の風景画をモチーフにカメオを作り始めました。「これまでの仕事あっての自分だから、女性像を否定はしないよ。ただ本当に忙しくて、作れって言われるものを作る以外何もできなかったんだ。もう40年もそんな生活をやったんだ、自分のしたいことをしても罰は当たらないだろうと思ってね。まあ、仕事は減ったさ。でも、もう目だって前ほど利かないし、いつまで作れるかわからんからね。カメオとは長いつき合いだけど、楽しむのは今が初めてだよ」

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